所感
成功体験も失敗体験もないまま八方に愛想を振りまいてきたお陰で何となく生きる事が出来たんだなと分かった。
何も挑戦せずただヘラヘラとしていればそれなりに人は寄ってくる。
いま相手が何を求めていて、自分がどう立ち回ればうまくいくのか、いつからか本能的に理解していた。
なぜ、どこから、どうやって理解したのか、経緯も理由も分からない。
けれど理解が出来た。
人前に立つ事は好きだった。
ただ1対1でこれまで相手に媚びてきた事を、より大勢の人間に対してやるだけのことだから。
大勢の人間が求めてる妥協点なんてたかが知れている。
そこそこの回答を大々的に打ち上げて、あとは近づいてきた人間に対して個別でフォローを入れればいい。
今じゃ別に難しい事じゃない。ただ小狡い生き方を早い段階で身につけてしまった。そしてそれが、それだけが生きる術になってしまっていた。
どう立ち振る舞おうが、あとで最大限の誠意を持って丁寧にフォローしておけば大抵の人間は許してくれた。
私に対する好意や好感を持っていてくれたからなのかも知れない。
私は周りにいてくれる人間を大事にしようと数年前に決めた。やっと作り上げた居場所を失うわけにはいかないと思ったからだ。
それすらも疑ってしまっている。
誰に対しても良い顔をして、取り繕って生きてきたお陰で本当の自分が何なのかわからなくなった。
みんなが求める私であろうと、そうする事でしか居場所を守れないと思っていた。
関係は何となく、非常に曖昧な感覚的なもので形成される。
好意なんて目に見えないし、腹の中で何を考えているかなんて誰にも分からない。
誠意を見せる方法なんて何通りだってある。
響くやり方を見繕って対応すればいい。
そうして生きていたら、好きな人に対しても顔を変えるようになってしまった。
肯定されている筈だ。認められている筈だ。
でも私はきっと周りにそれ以上の肯定や賞賛を振りまいてきた。
なぜ等価で返ってこない。
なぜ満足する評価が得られない。
当たり前だ。
私に返ってくる、与えられる評価や賞賛は、虚構の私に対するものだからだ。
本当の自分を分かって欲しい、なんて、そんな手垢まみれの言葉が一番しっくりくる。
無様だ。
この気持ちがこの先どうすれば消えるのか分からない。
そもそも本当の私にとって何が一番満たされるものなのか把握していない。
月並みな賞賛や評価は響かない。
私がしてきたものだから。
言葉に何が隠されているのか、いま何を考えてそう発信したのか、意図は実際にある、あるのだけれど、私が汲み取る・汲み取った意図は果たして正なのか、君が説明する意図は本当に本音なのか、どうしてそんなに考え無しで話す事が出来るのか、こちらの受け取り方など大した問題ではないのか、ではなぜ私がここまで考える必要があるのか、それならばいっそ感じたままを発信してみようか、この気持ちを言葉にすれば君は傷つくのだろうか、それを僕はどう思うのだろうか、痛ましく思うのだろうか、申し訳なく思うのだろうか、申し訳なく思っている自分は表面上の自分なのではないだろうか、また自分に言い訳をしているのではないだろうか、結局のところ自分が傷つくのが怖いだけなのではないだろうか、傷ついた事がないから、一度つけられた傷からどんな雑菌が入ってどう私の体を侵食していくのか怖い、だからリスクを絶えず恐れているのではないだろうか、だから実生活で生じた追突事故や物の紛失や物忘れなど実害が生じるのではないだろうか、人間関係にだけ気を配って生きているから自分が損をする事で自傷的な安堵感を得ているのではないだろうか、こういった隙が人間味だろうと思っているのではないだろうか、何も分からないくせに何も知ろうとしないくせに何も挑戦しようとしないくせに分かったような顔をする事だけは一人前になってしまったのではないだろうか、こうしてつらつらと文を並べているのもただエクスタシーを得たいだけなのではないだろうか、これだけ文がすぐに並べられる自分は凄いと言い聞かせようとしているのではないだろうか、どうしてすぐにそういう事を考えてしまうのだろうか、見栄や外聞は大事だがどうしてそうすぐに自分を正当化しようとしてしまうのであろうか。
もう分からない。
問うても答えはない。
答えを出してもすぐに自信がなくなる。確たるものがないし、何より答えなど一時的なものに過ぎない。
日々の暮らしの中で答えは変わっていく、それもまたいいだろう、なんて、なぜそう言える。
なぜ一度出した答えをそう易々と変える事が出来る。
変化する事が怖い。
自分が何なのか分からない事が怖い。
未だにこんな思春期のような悩みに苛まれている事が恥ずかしくて怖い。
どうしてそう大人でいられる。
大人のふりをしているだけなのかも知れないけれど、どうしてそうも上手に演じられる。
大人が多いのか、大人を演じている人間が多いのか分からない。
もう恥ずかしい気持ちで息が詰まりそうだ。
私は弱い人間だと認める事が怖い。
自分がこれ程強固なプライドを抱えている事を知らずに生きてきた。
結局何も分かっていなかったのだ。
知りたい。
ああやっと分かったと、いつか言いたい。
言えるのか分からない。
怖い。
子供の頃、夜が無性に怖かった。
毎夜母に縋り付いて泣いた。
程なくして眠った。
誰にでもあるエピソードだし、笑い話にするにも弱々しい。
けれどずっと頭にこびりついて離れずにいた。
何故だか分かった。
私はきっと分からないものが怖いのだ。ずっとそうだったのだ。
私は知らずに生きていく事が怖い。
少し分かった。
大人は何でも知っている、何でも知っていないと大人ではない、本当にそう思っているのかも知れない。
阿呆らしい。
阿呆らしいけれど、多分そうなのだ。
そうだったのか。
少し得心がいった。
とはいえ心の靄は晴れない。
快方に向かっていると今言い聞かせてはいるが気休めに過ぎないかも知れない。
だがこうして生きていくしかないのかも知れない。
時折こうして文を書いて、整理するしかないのかも知れない。
やるしかない。