結局プルオーバー

二転三転します

旅先では現地の方のような顔をしたくなる

好きだ…この場所…こと、北海道に2泊3日で行って来た。

 

 

定期的に、私の事を誰も知らない土地に行きたくなる。

 

周囲の人間、いわゆる友人や家族は、過去の私と現在の私を多かれ少なかれ知っている。当人が抱えた私の情報とこれまでの経験から都度取捨選択をして、各々の道具を用いて私と接してくれている。

きちんと"私と接する時の自分"の身支度をしてから対応をしてくれる。私の周りはそういう人が多い。

というか往々にしてそうなのだろう。

 

 

それはなによりも温かく尊く有難い事なのだけれど、だからこそひどく申し訳なく、そして少しだけそれから逃げ出したくなる時がある。

だから一人で勝手に旅行に行く。

 

周囲に対して不満がある訳ではなく、私が"相手が求める私"を演じてしまう事に時々疲れてしまう。

 

今までの付き合いを通して得た"この人のイメージする私"が発するべき言葉はこれなんだろうな、

きっと相手はこうして欲しいんだろうな、

これをやればいいんだろうな、

 

そんなごっつぁんゴールを決めているうちに、周りは私をストライカーと評価してくれるようになった。

試合に出れるだけで、パスをくれるだけでありがたい事なのだが、それでも時折現状に得体の知れない恐怖を感じる瞬間があった。

 

朝のニュースでどれだけ高く評価されても、専門誌では最低点をつけられているような、街角のサッカーマニアからは酷評されているような、顔も知らない誰かの評価を勝手に覗き込んで、内面的な冷めた私を勝手に客観視として絶対化して、常に評価を下して、大したソースもない評価に、一喜一憂している。それがどれだけ不毛な事か分かっている筈なのに、こびりついたままなかなか落ちてくれない。

 

 

私はきっと、他の誰よりも私が納得する私になりたいのだろう。

 

みんなどれくらい抱えているんだろう、"演じている私"を眺めている時に感じるこの虚しさ。

それと向き合ってもなお仕方ないと笑って諦めてるのかな。それが当たり前なのかな。

 

悶々としているうちにやがて日は沈み、飯を食い、わからないまま眠って、わからないことが嫌で、でも考えるしかなくて、堂々を巡っていたら目が回ってまた眠ってしまう。

 

そんな日々を送っていると、不意に誰も知らない私になりたくなる。私を清算したくなる。

別に旅行に行ったから劇的に自分が変わる訳でも悩みが消し飛ぶ訳でもない。一泊二日の格安パックツアーで変わる内面の方が心配だ。

 

誰も知らない私、誰の為でもない私で他人と接したくなる。

 

 

そんな心持ちで旅行に行って現地の人と話をすると、どこかのタイミングで必ず「何をしに来たの?」と聞かれる。

 

多分最適解は「自分探し」なのだろう。ダサすぎて死んでも口には出さないけど。

というか、多分私の場合「自分殺し」になるのだと思う。

 

日々の暮らしで溜まりに溜まった私パネリストを一人残らず葬り去る為に旅行に来ている。

 

どうでもいいけどワイドショーのパネラー連中がアニメやら漫画やらゲームやらのニュースを見てる時にかましてる、とりあえず口角上げてるあの笑顔ごっこ、ただ嘔吐しそうなのを口閉じて我慢してるだけだってもう気づいてるからね。でもこれも仕事だし仕方ないよねって納得させれるような顔してないよ。

 

話が逸れた。

 

 

というかもう、昼になった。

 

 

 

 

飯だ。