RUN
興味のある事やつらつらと思う事は日々あらゆる所に散らばっているのに、あろう事か毎日やってくる仕事というクリーチャーに時間と活力を奪われている。由々しき事態だと思う。働く場所のせいにはしたくないが、興味がなくなっているので仕方がない。
tofubeatsの記事を読んだ。
https://www.cinra.net/interview/201810-tofubeats
真摯な人間が本当に好きだ。僕は音楽に対して憧れを乗せて聴いている部分が多分にある。
向き合い方が正しいか正しくないかは分からないが、個人的な性分なので割り切っている。
自分に足りないもの、欲しいもの、
御託のいらないかっこよさ、はたまたせっせと御託を並べたいかっこよさ、
毎度毎度胸がいっぱいになって、かっこいいものの前では人間やっぱり無力なんだなと思う。
感受性を絶やさずにいたいと思わせてくれる物はやっぱり世の中には沢山あって、
それを提供してくれる人にはどうしたって強めの憧れを抱いてしまう。
敬意とはまた違う。
距離感と呼ぶのが正解なのかも知れない。
ただ、言葉遊びになってしまうかも知れないけれど、距離感は保つというよりも必ず持っていたい、持つべき感覚だと思う。別に"保つ"必要はない。
近い遠いの違いこそあれど、距離感は必ず持つべきだと思う。遠くたっていい。というか遠くて当たり前だ。
仮に近い、近い、毎分毎秒近づいている、とLOVE is blind、誤解していようが、それもまた幸せな事だと思う。幸せという言い方に噛み付いて欲しくはないが、本当に良い事だと思っている。
他人から、夢見ちゃってバーカ、と笑われようが、
実はただ同じトラックを周回しているだけであろうが、意思と熱量を持って走る事は非常に尊い事だと思う。
冷めたら切り上げればいい。冷めなければ走り続ければいい。そうやってどんな形であれ感受性やアンテナを絶やさずにいる事が何よりも大事だと思う。
ずっと思っていた事だけど、触発されたり影響される事は必ずしも悪い事ではないと思っている。
確かに芯がないとか薄っぺらいとか石を投げつけてくる人間はいる。ただそういう連中に対して視野狭窄だの頑固だのと返していてはそれこそ時間の無駄で必殺堂々巡りだ。
だから周りの事は気にせず好き勝手あっちこっち行ってみるべきだと思う。好きになったら愛してみるべきだと思う。雑食は馬鹿舌であり太りやすい。ただ痩せる気はないし、痩せ方も分からないのだ。
それで別にいいじゃないと思う。
お昼からはsocial tower marketに行く。
楽しみだ。