灯りの在処
2月に入り、依然として寒気は猛威を振るっており、マフラーでは隠し切れない顔面の広さを憎む今日この頃。
夜は寝付きが悪くなるし朝は布団から出られないし、いい加減にご勘弁願いたい。
とはいえ、寒気が何の役に立たないのかと言われると、当然そんなこともないわけで。
手を握る理由になるとか身を寄せ合う機会が増えるとかそういう浮ついた話ではなくて、単純に外で吸う煙草がうまい。
雪が降る中で奥歯をガタガタ言わせながら煙草を吸っていると、寒くて泣きそうになるし苦痛でしかないけれど、ほんのちょっとの楽しさが手元に残る。
特に私は常日頃から怠惰な生活を送っているから、日常のそういった些細な刺激でさえ大層尊いものに感じる。
屋外で感じる身も凍るような寒さと、奥歯をガタガタ言わせて寒い寒いとボヤくちょっとした悪事、天秤にかけるまでもなく前者を優先するべきだ。
薄着は健康に良くない。
風邪でも引いたらどうする?
大体、煙草は健康に良くない。
「何がそんなに面白い?」
あー。はい。
分かっちゃいるけどやめられないんですー。
良くも悪くもそういう生活を選択し続けて生きてきたから、こればっかりは仕方のないことなんです。
些末なことに対して許せないと判断したらフルスロットルでキレること、今年度中に治るだろうか。
若干の苛立ちと生きづらさを抱えながら煙草に火をつけると、時折これまでのことを振り返ってしまう。
キャンプに行ったこと、コーヒーを飲みながらベランダで話したこと、早朝のパーキングエリアでこの先の旅路に思いを馳せたこと、かつての思い出たちはこの機を逃すものかと忙しなく脳内を駆け回る。かと思えば、何の前触れもなく突然疲れて眠ってしまう。
中には、そのまま息を引き取ってしまう者もいる。
季節の移り変わりよりも少し早く、私たちは思い出を忘れていく。
絵画のように、記憶を額縁に入れて飾っておきたいと思う日さえある。
それくらい、忘れたくない。
これまでの私は、記憶を飾るなんてダサい真似しないで死ぬまで覚えてりゃいいんだよバーカ、なんて虚勢を張っていたが、どうも当人が不在だとそうも言っていられなくなる。
せっせと日々を過ごし、死との向き合い方もそれなりに分かってきたつもりだけど、たまに感傷的になる時がある。どうしてもある。
冬は、特に。
喫煙所でライターを忘れたて(あるいは失くして)、近くの人に借りる時のムーブが年々上手くなっていく。
こんなんさ、上手くなってどーすんの。
ライターを忘れてもひとり。
これ、チラ裏にでも書いとくから後で見といてよ。