結局プルオーバー

二転三転します

右手

40過ぎた芸人が、相方のここがすごい、相方はこういう所がある、なんて言っているのを見ると、なんだか本当に泣いてしまいたくなる。

 

それが仕事とは言え、誰よりも身近な人間を衒いもなく褒められるのは、尊いことだと思うし、羨ましい。

 

俺も少し前まではそうだった。

そばにいてくれる人間がなによりも大事で、その為なら、彼らの為なら、そればかり考えていた。それだけでこの先もどうにかやっていけると思った。

 

誰かに必要とされたかった、なんて月並みな言葉に絆される夜がある。

 

寒気がする。虫酸が走る。身体中を掻き毟って声が枯れるまで叫んでやりたいが、週に一度は爪を切るし、趣味はカラオケだからそんな事は絶対にしない。

 

何かに駆られて生きてきたわけじゃない。

だからといって心地よさだけを追い求めてきたわけでもない。

なのに、やる必要のない綱渡りを何年も続けてきた。

 

きっと、自由に生きられる人のことがいつだって妬ましくて、鬱陶しくて、羨ましかった。

 

腹が立ったら胃の中を道路にぶち撒けて、嬉しくなったら手を叩いて笑って、寂しくなったら小さく声を上げる、そんな生き方にずっと憧れていたんだと思う。

 

だから、そんな未来を期待して、いつかに縋って生きてきた。情けなく映ろうが構わない。どうせ器用になんてなれないのは分かっていたから。

 

なのに、いつからやらなくなったんだろう。一人で立って、歩いていけるとでも思ったのだろうか。それは傲慢な思い上がりか、単なる事実だったのかは今となっては分からない。ただここ最近は、どうにもあんまりうまく笑えない。笑っている場合じゃないだろと、すぐに頭をはたかれる。

 

 

 

あと少し待って欲しかったなあ。

 

なにがどうなってたかなんて分からないよ。でも、だからこそ、待って欲しかった。ずっと待っていて欲しかった。