結局プルオーバー

二転三転します

もたれかかる

無事就職が決まって、モラトリアムはするすると幕を下ろし、いざ働き出して、案の定身体は疲れている。脆弱にして惰弱。

 

まあそれはそれでいいとして、流行りとか大人気ってなんなんだろうと、最近ちょくちょく考える。

 

yonigeとかポルカドットスティングレイとかMy Hair is Badとか、

きっと今のハタチ前後の人たちがリスナーの大半を占めている(であろう)バンドが今手広く幅広く活躍をしている。ただ彼らはワンオクやアレキサンドロスのようなクラスのみんなが知っている(それも何曲も)スーパーメインストリームではない、と思う。年下受けが悪いのと、インターネットの友達がまるでいないお陰でハタチ前後の人たちのリアルな声を知らないから断定は出来ないけれど、ワンオクやアレキサンドロスから一歩踏み込んだ場所にいるのが先ほど挙げた3バンド(たち)だと思っている。

 

そこでふと思ったのだけれど、いま私はたまたま1993年生まれの26歳男性で、大学を出て就職をして、しばらくして転職をして、とりあえずは生きている。私がハタチ前後だった頃、yonigeポルカやマイヘアはスーパーメインストリームの隣の車線を走ってはいなかった。少なくとも私の拵えた路線には。

私がハタチ前後だった頃にスーパーメインストリームの隣の車線を走っていたワンオクやアレキサンドロスが颯爽と車線変更をしたように、彼らもいつかスーパーメインストリームへと車線変更出来るかも知れない。そうやって時代は巡っていくのかな、とも思う。

 

ただそうなるとだ。私が彼らを聴かない理由は何なのだろう。知らず知らずのうちにワンオクやアレキサンドロスと共に車線を変更したつもりでいたのだろうか。感性が死んでしまってはいやしないだろうか。甚だ不安になる。

 

「感性が鈍くなっていく/本当はそれが何より怖い/一人で食べる昼食よりも/月曜の朝よりも」

バズマザーズは軽やかに歌う。軽やかだからこそ、重い。その軽さがのしかかる。

 

そんな判然としない気持ちを抱えていた昨年末、countdown  japanであいみょんを見た。本当に圧巻のステージだった。正直なところ有名な曲しか知らないし、そもそもあいみょんは若い人の聴く音楽で"おとな"の私にはそぐわないのではないか、そんな厚顔無恥な認識の中で目にした彼女のステージは、あまりに鮮烈で瑞々しく、興奮と恥ずかしさで涙が出そうだった。いや少し泣いてしまった。

かくいう経験をして初めて分かった身であるから大層な事は言えないけれど、あれほど嫌いだった"好きなものへの先入観や偏見"を自分が持ってしまっていた事が本当にショックだった。私が一番嫌いな門前払いを、知らないうちに私がやってしまっていた。

大体からしてシンプルな話、私は高校生になるまでまともに音楽を聴いていなかったバックボーンゼロ人間なので、今もし私が高校生だったら、そりゃあさっきの3バンドを聴いていただろうと思う。音楽を聴く事は生活の一部だから。

 

ただ、沢山の音楽に出会うべく、クラスの連中とはちょっと違った自分を密に密に育てるべく、足繁くタワレコTSUTAYAに通っていた当時と比べて、老いから目を逸らす為だけに、若々しい振りをする為だけに新しい曲を聴いている行き場の無い私がいる事を、いつからか自覚している。

沢山の人たちと出会い触れ合う中で、自意識がまるで変わってしまったのだと思う。良い点の方が確実に圧倒的に多いのだが、インプットがどうしようもなく苦手になってしまった。人との出会いは角を削ってくれるが、その角が新品の消しゴムの角の時だってある。文字を消すという目的を果たせているから気づいていないが、その過程でこれまで大事にしてきたものを失ってしまった気がしてならない。そんな悩みを下らないと吐き捨てられずに切々と戦っている人が世の中たくさんいると思う。

 

だからこそ、若者の音楽とか大人の音楽とか、やめた方がいいと思う。若い人たちが容易に背伸びをするのに対し、大人は膝を曲げる事すら難しくなる。

 

所謂「今若者に大人気」の音楽を「今若者に大人気」だから聴かない、それはただ傲慢で暴力的で、私たちが昔あれほど嫌いだった「おとなげ」なのではないだろうか。

 

耳を塞ぐより、耳を傾ける方が楽だ。