結局プルオーバー

二転三転します

揮発

道の真ん中で蝉が死んでいた。

 

夏になればどこでも目にするありふれた景色だ。ある種夏の風物詩なのかも知れないが、ただでさえ暑い上に視覚的にも暑さを感じてはたまらない。私は厳しい日差しにうだるようなフリをして、いつものようにそれを通り過ぎた。

しかしややあって、彼が誰かに踏まれてしまうのが無性に怖くなった。彼を踏んでしまった誰かが嫌な思いをするのも何だか気分が悪いし、何より命を全うした彼の終末がそんな無残な形でいいものかと突然義憤めいた感情に駆られた。

私は踵を返し、彼を道の端に、誰にも踏まれないようなところに動かそうと試みた。膝をつき、彼に手を伸ばし、少し熱を帯びた羽にそっと触れると、瞬く間に無数の蟻たちが彼の中から飛び出してきた。私はすぐに手を引いて、つい飛び上がってしまった。アスファルトのしつこい照り返しも忘れて、蟻たちが彼の中から出てくる様子をしばらくの間じっと見ていた。

 

また余計なことをしてしまった。

 

そんな小さじいっぱいくらいの後悔が、私の足に根を生やした。私の行動は果たして善意によるものだったのだろうか。後味の悪さを抱えたまま職場へと戻った。

 

職場に戻れば仕事で否が応でも頭は支配されていく。さっき感じたひどい違和感も、何でもなかったかのようにするりと忘れている。

帰りの電車でふと、彼のことを思い出した。

 

ああきっと、こういう事なんだろうな、と思った。

小さいけれど大事な事、それがどれだけ尊い出来事でも、規模が小さければ、あっけなく忘れていく。

覚えること、やるべきこと、やれること、やらなくてはいけないこと。課題や問題は、瓶ビールみたいにグラスにとくとくと注がれていく。周りに目をやると、どうやらこれは飲み干さなくてはいけないものなのだと分かる。ごくごくと喉を鳴らし飲み進めていくと、あれほどインパクトのあった出来事も緩やかに矮小化され、受け止める必要のないこととして腹に落ちて消化されていく。忘れていく。安心を手に入れていく。

ひと時の快楽は断続的に続く。小さな違和感を受け止め続け情けなく肥大化した下っ腹を叩きながらカラカラと笑いながら言う。

 

「このために生きている」。

 

もう、戻れない。