結局プルオーバー

二転三転します

「この果実が熟すまで」に蓋をして

長い付き合いの友人が、「中学生の頃はトマトが嫌いで、弁当に入っているといつも仲の良かった私に食べさせていたが、今では自ら好んで食べるようになった」という話を、まあよくする。

かれこれ10年ほど、彼はこの話をしている。トマトや苦手な食べ物の話題になると十中八九この話をする。大体いつも同じトーンでする。変わった点があるとすれば彼のトマトに関する知識量くらいで、それ以外は恐らくあまり変わっていない。

 

 

最近、オードリーのオールナイトニッポンを聴くようになった。

SpotifyPodcastオールナイトニッポン0を聴くようになって自然と食指が動いたような形だが、これがまたどハマりしてしまい、今では毎週土曜日が楽しみで楽しみで仕方がない。

ふたりの掛け合いはどれも傑作なのだが、その中でキン肉マンドラゴンボールに例えたり、10年前とほぼ同じエピソードを出してくる春日に対し、若林が「お前何回その話すんだよ!」とがなり立てる、みたいなパターンがあって、私はそれを聞く度に彼のかつて嫌いだったトマトの話を思い出す。

 

「何回その話すんだよ!」

 

まったくもって同感である。

ただ、このフレーズを出すのはもう何年か待ってみようかな、と思うようになった。いま言ってもそこそこ笑いになるだろうけど、いま我慢すれば後々もっともっと面白くなる気がするし、ショートケーキの苺を最後に食べる派の私としては、ここで苺を食べてしまうのは何だか勿体ない気がしてしまうのだ。

 

この先私たちは一年二年とコンスタントに年を重ね、やがてみんなおじさんになっていく。いつかみんなで集まってご飯を食べている時にでも、彼がまたこの話をしたら「待ってました!」とばかりに喜び勇んで言ってみようと思う。

 

「何回その話すんだよ!」

 

本当に些細で、取るに足らない希望だ。

ただそれでも、この先が些細な幸せのある未来であることを信じて、小さな希望を束にして生きていきたい。この束を握り締めて、この束に囲まれて年老いて、死んでいきたい。どうしたって、結果なんて分からない。だからこそ過程は豊かな方がいいに決まっている。

 

彼が数十年後も気兼ねなくトマトの話が出来るように、この関係を大切にしていきたい。