結局プルオーバー

二転三転します

よくある話で笑っちゃうよね

仕事を休んで1週間経った。

 

相変わらず自分が何をやりたいか、答えを出せずにいる。

 

焦る必要ないよ、

今はゆっくり治す事だけ考えなさい、

掛けてくれる言葉はありがたいしそうするべきなのは分かっているつもりだけれど、周りが着実に進んでいるのを目の前で見せられてのんべんだらりとしていられたらこんな現状じゃないよなとも思う。

 

正直なところ休む前から焦りはあった。今の会社で勤めて自分が塵芥のように吹き飛んでも気づかない、あるいは吹き飛んだら煙たがられる存在になっていくようで、本当に怖かった。

人格形成が人よりも不器用で時間を要したからこそ、やっとこさ作り上げた自分にそれなりの愛着を持っていた。

それらを全て捨てなければやっていけないように思った。

 

それは御免だと思った。会社に自分を変えられるなんて真っ平御免だ。

甘い考えなのかも知れないが、均一化された人間たちの中で働くことに何の意味も見出せなかった。各々が持った個性を権威で殺し選択性のない共通の話題を強制する事で生まれる閉塞感を連帯感と誤認させる。

被害妄想も甚だしいと笑ってくれて構わないが、恐らくこれは私が今まで忌避してきたようなコミュニティがよく似合う人たちとそれなりに接してしまった事で当然に生まれた拒否反応なのだと思う。無理をして彼らと付き合う事も出来たが、日を増すごとにその退屈さや傲慢さが我慢ならなくなった。

 

どうしてそんなに何も考えないで日々を過ごす事が出来るか、不思議で仕方がなかった。彼らのような生き方はもしかしたら幸せなのかも知れない。ただ私は損をしてでも納得のできる人生を送りたいと思った。

20余年の人生で生まれた「果たしてそれでいいのか?」と問い掛ける自分を黙らせる事の出来る人生を送りたいと思った。理想や夢を追いかければキリがない。ただ自分"たち"が納得できる選択をその都度行える人生がやっぱりベストだと思う。

 

しかしまあ改めて見返すと月並みなことをだらだらとよく書けるなあと思う。

ただ、鬱屈した日々や悶々とした悩みがよくある話で終結しようというのだ。それはなかなかにハッピーな事なのではないだろうか。ドラマチックな結末なんてフィクションの中だけでいい。

 

少し話は逸れるが、ドラマチックな結末のその先を見ようとしてしまうから私みたいな人間はフィクションを見ると気疲れしてしまうのだと思う。それだけ没入できたということではあるのだが。

例えば主人公が非業の死を遂げたところで終幕する物語があるとする。物語はそこで完結するが、残されたその妻はどうなる?彼を死に追いやった憎き首謀者は?彼の友人たちは?彼の親たちは?この先彼らの人生は続いていく。だが主人公が死んだ時点でカメラはフェードアウトしてしまっている。彼らの未来が分かる人間などどこにもいない。勿論私がああだこうだ考えたところで残された彼らが勝手に動き出し物語の続きを紡ぐ訳もない。

そして毎度毎度、きっと彼らならこういう選択をするだろう、となんとかして腹の中に落とし込み、日々の暮らしの中で一時的に忘れ、ふとした拍子に思い出しまた彼らの今後について考えてしまう。素晴らしい作品に出会うとそうした悩みがついて回る。尤も悩みと呼べるほどのものではないのかも知れないが。ただまあ何ともおめでたく幸せな悩みではある。

いやそもそも作品に触れた絶対数が少ないから作品との向き合い方、消化方法がまだ分かっていないのだろうか。

 

何が話したかったのか忘れてしまった。

 

 

要するに、私が欲しているのは納得のいく選択をした上での変化なのだろう。不平不満を抱えたままそれらを押し殺して、気づけば昔とは変わってしまった、なんて、そんな話はよくあっても生涯他人事でありたい。

 

無欲に無欲に、穏やかに柔らかく、なんて考えて生きてきたが、

何のことはない、

私は強欲でプライドが高い人間だという事がこの1週間で分かった。

自らの周囲に情や愛を過剰に振り撒き、その過剰さに気づいていないものだから返って来た気持ちとの差分にがっかりする。

私はこれまでも80点を求められているのに、恐らく残り20点は自らで追記したいのであろうに、100点どころか120点の返しをしようとする事が多かった。というかそればかりだった。それは紛れもなくその人を思う気持ちもあるのだが、同じくらいその人に認められたい気持ちがあるのだ。私はきっとこれまでどんなに簡単な場面でも120点のパスを出そうとしていたのだ。だから次に自分がシュートを打とうとした時に、(体感)80点のパスが来て仮にゴールを決められたとしても、どこか納得がいっていないのだろう。おそらくその身勝手な乖離が無意識的に不満や違和感として心身に蓄積されていたのだと思う。なんとまあ馬鹿馬鹿しい話だ。そりゃ疲れるわな、と思う。

 

ふー。

 

 

 

今日は久し振りにゆっくりと本を読めた。